院長ブログ

  • エビデンスの質について 2020年04月14日

    エビデンスには質があり、時に著名な雑誌に掲載された論文についても結果がmisleadingである可能性があることに注意が必要です。

    臨床家は論文の質の良し悪しを慎重に見極める必要があります。


    最近ではNew England Journal of Medicine誌にCOVID-19に対するremdesivirのcompassionate use(患者自身の申し出を起点とした未承認薬の投与。薬剤が生命リスクの高い疾患を対象としたものであり、代替的治療法がないものの場合、未承認薬であっても条件付で投与が承認されるもの。日本でいうところの患者申出療養制度ないし拡大治験。両者はちょっと違いがあり、申し出のあった薬剤が治験中であれば、患者申出療養制度ではなく拡大治験に組み込まれる。この論文に日本での患者さん(in Japanとあるので国内投与でしょう)が9名入っていて、日本での患者申出療養制度での投与承認はまだ6件しかなく、その中にCOVID-19は入っていないので、拡大治験でしょうか?海外で行われているExpanded accessに参加する方法もありますが、それだと海外にいかないといけないので、国内実施であれば、拡大治験だったのでしょうか?どういういきさつでcompassionate useという表現が使用されているのかは興味があるところです)についての症例報告がありました1)が、これはオープン試験で対照もなくblindingもされていないので、エビデンスの質としては低めということになります。

    現在進行中のプラセボ対照二重盲検試験の結果次第では、結論はどうなるかわからないというところです。


    さらに観察研究により得られる帰結の脆弱性について、精神科が関連する領域での実例を挙げてみたいと思います。


    2000年のLancet誌にスタチン使用と認知症リスクの関連を調べたnested case-control study(以下に述べる今回問題にしている論文と同じスタイルです)の報告がなされました2)

    nested case-control studyは前向き研究でありながら、前向きの観察期間終了後にcase-control studyを行うというもので、コホート研究とcase-control studyの良いところ取りのような研究デザインになります。

    nested case-control studyについてはネットで閲覧可能な嶋本先生による文献3)にわかりやすい解説があります。


    このLancet報告2)では、スタチン使用により、認知症(タイプは区別しない)の罹患リスクが7割くらいも有意に減るというインパクトのある結果でした。

    この結果もよくみるとスタチン使用歴2年未満の結果が全体の罹患リスクの結果に大きな影響を与えているように見え、2年以上使用の結果はそれほどリスクを下げているようにみえないことから慎重な解釈が必要なことはわかるのですが、それでも有名雑誌に掲載された結果の影響は大きく、その後しばらくはスタチンで認知症を防ぐという風潮になったのは想像に難くありません。


    しかし、そのような幻想は2年後に同じくlancet誌に公表された2つの介入試験の結果4)5)で打ち砕かれます。


    HPS 2002およびPROSPER試験とよばれるプラセボ対照無作為割付比較試験です。

    特徴はどちらも非常に大規模であること(HPS 2002はシンバスタチン群とプラセボ群いずれも10000名以上、PROSPER試験はプラバスタチン群、プラセボ群いずれも約3000名)さらに、どちらも長期間であること(HPS 2002は5年、PROSPER試験は約3.2年)です。

    ここまで大規模な介入試験の結果のエビデンスの質はとても高くなります。


    HPS 2002試験のエントリー患者は40-80歳で冠動脈疾患,非冠動脈性閉塞疾患,糖尿病などで治療中の患者で、主要評価項目はすべての原因による死亡、冠動脈性心疾患による死亡などで、結果はシンバスタチンは全死亡、冠動脈性心疾患による死亡を10%程度有意に低下させるというものでした。

    認知症発症率も評価されており、0.3%ずつで有意差がありませんでした(自殺企図率も0.1%ずつで有意差なし、その他の精神疾患の発症率もスタチン0.7%対プラセボ0.6%で有意差なし)。

    スタチンは動脈疾患のリスクを有する患者について、約5年間の使用で認知症の発生リスクを低減させることはなかったとの結論になります。


    PROSPER試験では、70-82歳で動脈疾患の既往(冠動脈、脳血管性、末梢性)ないし喫煙や高血圧、糖尿病などを有しハイリスクの患者が対象となりました。主要評価項目は冠動脈疾患死ないし非致死性心筋梗塞ないし致死性ないし非致死性脳梗塞の発生率であり、プラバスタチンはこれらすべての発生率を約15%有意に減少させるとの結果でした。

    一方で認知機能の低下についても評価されており、MMSE、語想起課題、stroop testなどで測定した認知機能の悪化度は有意差なしとの結果でした。

    スタチンは約3.2年間の使用で認知機能の低下を有意に防ぐ効果はなかったということになります。


    以上2つの質の高い長期大規模臨床試験の結果により、現在ではスタチンが認知症を防ぐ効果は(少なくとも5年程度の使用では)ないとの結論になっています。


    だからといって、観察研究の意味がないわけではありません。

    介入研究が困難なほど長期間にわたる暴露の結果がどうかについては観察研究に頼らざるをえません。

    スタチンと認知症リスクについても、最近でも観察研究の結果が報告されて続けており6)、それはもはや介入研究では手が届かない10年単位の観察期間を設けた長期試験であったりします。

    そこでは、エビデンスの質は低いものの、高用量のスタチンでは認知症発症リスクが低かったなどの報告もみられています。

    より長期の経過をみていくことの意義は、アルツハイマー型認知症のアミロイドβ仮説において、アルツハイマー型認知症発症の15-20年前からAβ pathologyが徐々に脳内で進行しているとの仮説があるためです

    この仮説を検証するには、MCIレベルの患者への介入では時すでに遅く(最近の抗Aβ抗体による第3相試験がことごとく失敗しているように)、もっと早期からの介入が必要ではないかとの推測になります。

    スタチンは基礎実験でAβを減少させるとの報告7)があり、そうであれば、HPS 2002ないしPROSPER試験の15年予後などはとても興味があるところです。

    HSP 2002については最後の患者のエントリーから23年くらいたっているため、もし予後がわかれば、何か興味深いデータが得られるかもしれません。


    このように観察研究と介入試験では結果が異なることがよくあります。

    この差の原因の1つはIncident biasとして説明されています。

    そもそも観察研究においては、スタチンを内服した群とそうでない群とで、性質が異なる(健康に対する意識が高いなど)だろうというものです。

    おそらくはこのような取り除けないbiasの影響により観察研究の結果が影響を受けてしまったのではないかと考えられています。


    以上エビデンスの質が重要であるとの一例をみてみました。


    さて、前置きが長くなりましたが、今回の本題です。

    観察研究では、結果についてどう考えればいいのか、解釈に困る論文がでることもしばしばあります。

    今回の論文はコホート研究の結果ですので、エビデンスの質は高いわけではなく、数年後にはひっくり返っている結果かもしれませんが、いったいどうしてこうなったのか。考えてもわかりません。

    どう解釈すればいいのか、いいアイデアがあったら教えていただきたいです。


    困った論文はこちら”Associations of Benzodiazepines, Z-Drugs, and Other Anxiolytics With Subsequent Dementia in Patients With Affective Disorders: A Nationwide Cohort and Nested Case-Control Study.”8)です


    気分障害患者において、ベンゾジアゼピン、Z-drugsないしその他の抗不安薬使用とその後の認知症発症リスクについてのnested case-control studyになります。内容はざっと以下のようになります

     

    背景


    ベンゾジアゼピン系薬剤は、その抗不安作用、催眠作用のため多くの国で処方されているが、長期使用に伴う有害事象が注目を集めている。


    長期使用による認知症リスクについては、2018年にメタ解析が出版され、5本のコホート研究と10本の症例対照研究が解析対象となり、全体としてあらゆるベンゾジアゼピン系薬剤の使用による認知症発症のオッズ比は未使用と比較して1.38と有意差をもって上昇するとの結論9)であり、さらに初発症状バイアス(疾患の発症初期にベンゾが処方されやすくなるバイアス)やうつや不安併存などの交絡因子を考慮してもなおわずかに有意であるとの結論であった10)

    しかし、recall biasなどが問題となる症例対照研究がメタ解析の対象として多く含まれており、用量と発症リスクの関連を調べたいくつかの報告の結果は一定しておらず、用量と発症の関係、長時間作用型と短時間作用型とのリスクの違い、暴露期間によるリスクの違いなどはよくわかっていない。

    コホート研究での結果は、結論が一定していない。


    これまでの報告では、ベンゾジアゼピンを処方するに至った適応症に関連する交絡因子の調整が不適切であった。気分障害は認知症リスクと関連していると言われているが、しばしばベンゾジアゼピン系薬剤が併用される。

    また多くのコホート研究による報告のほとんどが高齢者集団を対象としており、終末期におけるベンゾジアゼピンの使用もしばしば行われているが、終末期状態であることについての解釈は行われていない。


    今回、併存症による交絡を最小化するために、気分障害患者を対象に、ベンゾジアゼピンとZ-drugsを使用した場合に将来の認知症リスクがどうなるかについてコホート研究を行った。

    さらにベンゾジアゼピンのタイプ(長時間か短時間か)、Z-drugsかどうかで認知症リスクが違うかどうかについても検証した。

    対象と方法


    デンマークで、1996年1月から2015年12月までの間で、気分障害(F3)で最初に受診した患者 N=245541


    the Danish Psychiatric Central Research Registerもしくはthe Danish National Patient Registryもしくはthe Danish National Prescription Registryなどの患者登録データベースを使用しICDコードで気分障害、認知症患者を同定。処方データベースで処方内容、量、期間を同定した。


    前向きコホート研究、nested case-control studyを行った。


    共変量として、うつ病のタイプ(bipolar、軽度反復性、中等度反復性、重度反復性、持続性抑うつ障害など)、診断時期、アルコール乱用歴、物質使用障害歴、糖尿病、心血管疾患、抗精神病薬処方の有無、抗うつ薬処方の有無、教育歴(低、中、高、不明)、性別、年齢、婚姻状態を抽出

     

    結果


    気分障害患者の75.9%(N=171287)がベンゾジアゼピンないしZ-drugsを使用


    うち63.1%(N=148620)はエントリー前に1度以上ベンゾないしZ-drugsの処方歴あり(prevalent user)


    55.7%の患者はベンゾジアゼピンとZ-drugの両者を処方


    フォローアップ期間の中央値は6.1年


    9776名が認知症と診断


    調整後のnested case-control studyでは、ベンゾジアゼピンないしZ-drugs処方により認知症リスクの有意な上昇なし。

    長時間作用型、短時間作用型いずれも有意差なし


    一方コホート研究においては、ベンゾジアゼピン処方はエントリー後2年間において、認知症リスクを低減させた(調整後ハザード比 0.82)、Z-drugs使用も有意に認知症リスクを低減(調整後ハザード比 0.82)。

    エントリー後2-20.1年までの結果は認知症リスクについて有意差なし(ベンゾジアゼピン処方による調整後ハザード比 0.97)、Z-drugs使用の調整後ハザード比 0.96


    コホートでの解析ではベンゾの通算用量や期間と認知症リスクとの有意な関連はなかった。

    一方でnested case-control研究での解析結果では、最も通算用量の少ないベンゾジアゼピンを処方された群は、全く処方されたことのない群と比較して、わずかな認知症リスクの上昇がみられた(オッズ比 1.08)。

    一方で最も通算用量の多い処方を受けた群は有意に認知症発症リスクが低い(オッズ比 0.83)結果となった。このパターンはすべてのタイプ(ベンゾ、Z-drugs、短期作用型、長期作用型)の薬剤でみられた。

     

    議論


    前向き研究として過去最大規模の観察研究の結果


    Nested case-control studyの結果では通算低用量のベンゾ使用歴でわずかに認知症リスクの増加、一方通算高用量のベンゾ処方はむしろ認知症リスクを下げる結果となった


    コホート研究の解析結果で2年間の認知症リスクが低い結果については、気分障害と診断された患者について、最初2年間は臨床家が認知症と診断しにくいことと関連している可能性がある。


    認知症発症率について、うつ病の重症度やアルコール乱用などの交絡因子について調整したstudyはこれまでになく、その点で新しい知見となる


    意外なことにベンゾの通算処方量が最高に属する群は認知症リスクの低下と関連するとの結果となった。これは過去にスイスでの症例対照研究で報告された傾向11)と類似している。今後の検証課題となる

     

    コメント


    最も通算用量が多い、というのがどのくらいか明示されていなくて、具体的にどのくらいかがよくわからなかったです。

    supplementary figure S1ではtotal defined daily dose(DDD)で1500くらいが最大になっているので、たとえばジアゼパムのDDDは10mg、ロラゼパムは2.5mgなどとWHOが決めているので、これの1500倍の総処方量が最高通算処方量クラスということになるのでしょうか。結構な量ですね。


    今回の割と規模の大きなコホート研究では、ベンゾジアゼピンやZ-drugsが認知症リスクの増加と関連するという明らかな証拠は得られませんでした。


    それどころか、通算ベンゾ処方量が多いと、リスクが減る結果になっています。


    この論文のエビデンスの質は高くありませんので、この結果をそのままうのみにすることはできませんし、今後否定される可能性もありますし、ベンゾ長期使用の有害性を考慮すると、到底実用的な結果ではありません。

     

    きっとなんらかの要因により、このような結果になっているのかと思いますが、それについては論文の考察でも触れられておらず、私にはわかりません。コロナウイルスが落ち着いてからの勉強会で専攻医のみなさんと議論できればと思います。

     

    1)N Engl J Med. 2020 Apr 10. doi: 10.1056
    2)Jick H et al. Lancet. 2000 Nov 11;356(9242):1627-31.
    3)嶋本 喬 日循協誌 1992 第26巻第3号 198-199.
    4)Heart Protection Study Collaborative Group. Lancet. 2002 Jul 6;360(9326):7-22.
    5)Shepherd J et al. Lancet. 2002 Nov 23;360(9346):1623-30
    6)Chang CF et al. Medicine (Baltimore). 2019 Aug;98(34):e16931
    7)Dhakal S et al. Int J Mol Sci. 2019 Jul 19;20(14). pii: E3531.
    8)Osler M et al. Am J Psychiatry. 2020 Apr 7:appiajp201919030315
    9)Lucchetta RC et al., Pharmacotherapy 2018; 38:1010–1020
    10)Penninkilampi R et al. CNS Drugs. 2018 Jun;32(6):485-497.
    11)Fakienne A. Bietry et al. CNS Drugs (2017) 31:245–251

  • 産後うつ病に関する話題 2020年04月10日

    はじめに

     

    GABA A受容体のアロステリック調節剤、および産後うつ病の発症メカニズムについて興味深い話題になります。


    日本では未承認ですが、2019年5月にFDAが産後うつ病に対してbrexanoloneを承認しました。brexanoloneはGABA A受容体のアロステリック調節剤になります。

    産後うつ病はDSM-Vでは産後4週までに発症のうつ病エピソードと定義されていますが、実際には産後4週を越えての発症もありうるものです。またその半数がすでに産前からうつ病エピソードを発症しているとされ、この場合、周産期うつ病とよぶのが妥当とされています。


    発症率は10-15%といわれています。


    産後3日以内にみられる悲しさ、惨めさなどの感情はマタニティーブルーと呼ばれ、多くの母親が経験するものです。通常は2週間以内に軽快しますが、産後うつ病になると症状が数週間から数か月間続き、日常生活に支障をきたします。


    平成29年7月に日本産婦人科医会がマニュアルを作成しており、産後うつ病の早期発見、包括的な介入を目指してシステム作りが進んでいます。


    2018年のLancet誌に産後うつ病に対する新規治療薬候補としてbrexanoloneの第3相試験の結果が公表されました1)

    後述しますが、産後うつ病の病態仮説としてGABA系の異常が提唱されています。

    プロゲステロン代謝物であり、GABA A受容体のアロステリック調節作用を有するallopregnanoloneが産後に減少することが報告されており、brexanoloneはAllopregnanoloneの静注可能な可溶体とのことです。


    Lancet論文1)では、2つの第3相試験(study1とstudy2)の結果がまとめて報告されました。study2よりもstudy1の方がより重症度が高い群がエントリーされています。


    第3相試験の概略は以下の通りとなります。

     

    ******

     

    対象患者

     


    18-45歳の妊娠28週目(第3期)以降産後4週以内に大うつ病を発症(DSM-IV)しスクリーニング時点で産後6ヶ月以内のもの。HAM-Dで20-25点(study 2)ないし26点以上(study 1)


    方法


    プラセボ対照無作為割付比較試験

     


    投薬中と投薬後4日間のみ授乳中止

    患者はBrexanolone 90ug/kg毎時群(N=45(study 1)、N=54(study 2))、60ug/kg毎時群(N=46(study 1))、プラセボ群(N=46(study 1)、N=54(study 2))の3群に無作為割付。

    Brexanolone 90ug/kg毎時群では、最初4時間は30ug/kg毎時で静注、4-24時間は60ug/kg毎時、24-52時間は90ug/kg毎時、52-56時間は60ug/kg毎時、56-60時間は30ug/kg毎時で投与。

    Brexanolone 60ug/kg毎時群は24時間-56時間が60ug/kg毎時

    投薬期間は60時間の持続静注のみ

    主要評価項目はHAM-Dの変化量。評価は投与開始7日目と30日目の2回。

    結果

     


    脱落率はstudy 1では18%、study 2では7%。副作用出現率や脱落率は群間で有意差なし


    投与開始60時間でのHAM-Dの変化量はstudy1(より重症な群)では90ug群では19.5点、60ug群では17.7点、プラセボ群は14.0点で実薬群はいずれもプラセボより有意に改善。

    Study2では60時間後のHAM-Dの変化量は90ug群は14.6点、プラセボでは12.1点で有意差あり(速効性があることがわかります)


    30日後では、study 1では有意差あり。Study 2では有意差なし(より軽症群がエントリーされており、プラセボの改善も大きかった)


    study1とstudy2を併せた結果では投与60時間後、30日後いずれもbrexanolone投与はプラセボより有意にうつ症状を改善するとの結果になりました。

     

    *****

     

    この結果を受けて、FDAは産後うつ病に対してbrexanoloneを承認しました。

    めでたしめでたしというところですが、どうもすっきりしません。

    そもそもGABA A受容体アロステリック調節剤といえば、そのまんまベンゾジアゼピンではないですか?

    じゃあベンゾと何が違うのか?依存性はないのか(Brexanoloneは単回投与なのでその心配はなさそうですが、2019年9月に経口投与可能な類似薬剤SAGE-217の大うつ病に対する第2相試験の結果が公表されており2)、こちらは依存性、耐性も心配しなければいけなさそうです)そのあたりがとても疑問なところでした。

    その疑問に対する現段階での回答にあたるような論文3)がでていましたので、読んでみました。内容の概略は以下のようになります。

     

    *****

     

    神経ステロイドについて

    神経ステロイドの概念はBaulieuにより1980年代に提唱された、コレステロールやステロール前駆体より中枢神経において合成される内因性ステロイドである


    その後内因性および外因性ステロイドは中枢神経において多様な生理作用を有することがわかり、神経活性ステロイド(NAS : neuroactive steroid)と呼ばれるようになった。


    合成NASにおいては、特定の受容体への親和性を特異的に強めることができる

    GABA A受容体について


    GABA A受容体については、α1-6、β1-3、γ1-3、δ、ρ1-3、π、Θのサブユニットが存在することが知られている。


    GABA A受容体は2つのαサブユニット、2つのβサブユニット、さらにもう1つのγやδなどいずれかのサブユニットから構成されることが多い

    シナプス後膜に存在して、周期的(phasic)な抑制作用を発揮するGABA A受容体はγ2サブユニットを含む。一方で、シナプス外に存在し、持続的な(tonic)抑制をもたらすGABA A受容体はδサブユニットを含むことが多い

    ベンゾジアゼピンはGABA A受容体のベンゾジアゼピン結合部位に結合し、アロステリックにGABA A受容体のGABAに対する感受性を高める

    NASの結合部位はベンゾジアゼピンと異なる

    δサブユニットを含むGABA A受容体の方がNASにより活性化されやすい。NASはδサブユニット含有GABA A受容体、γサブユニット含有GABA A受容体双方に作用する

    一方ベンゾジアゼピンはδではなくγサブユニットを含む周期的抑制に関与するGABA A受容体に作用する

     

    GABA A受容体とNAS


    様々な神経活性ステロイドのGABA A受容体への作用には3種類ある

    第1群はSAGE-217、 Brexanolone、Allopregnanoloneなどのpositive allosteric modulator(PAM)であり、GABA A受容体のGABAへの感受性を高めるよう作用する

    第2群はpregnenolone、DHEASなどのnegative allosteric modulatorであり、GABA A受容体のGABAへの感受性を弱め、さらに第1群のNASの効果と競合し、PAMに対して抑制性に作用する

    第3群はGABA A受容体に対する固有活性がわずかないし無い群である

     

    GABA A受容体とNAS、ベンゾジアゼピン

     

    ベンゾジアゼピンに抗うつ作用がみられず?(コメント:これについては断言はできないところです。理由は後述します)、NASが抗うつ作用を有するのは、NASがδサブユニット含有GABA A受容体にも作用することによることかもしれない


    一方で抗不安作用については、αサブユニットを含むGABA A受容体が関与しているとの報告があり、NASの抗不安作用はαサブユニット含有GABA A受容体を介したものかもしれない。

    ベンゾジアゼピンもαサブユニット含有GABA A受容体に作用するため、ベンゾの抗不安作用もαサブユニット含有GABA A受容体を介したものではないかといわれている

     

    神経ステロイドの抗うつ作用について

     

    内因性の神経ステロイドはアストロサイトや神経細胞などでストレスなどに反応して産生亢進することが知られている。ストレスを受けて数分後には脳内Allopregnanoloneが増加し、その後2時間以上増加した状態が持続することが実験的に報告されている。


    さらに、これらのストレス刺激は、グルタミン酸NMDA受容体刺激をもたらすことがしられており、ストレス暴露中にNMDA受容体遮断を行うと内因性神経ステロイド増加が抑制されることが知られている


    低濃度のNMDA投与は海馬CA1錐体細胞での神経ステロイド産生を促進する。


    以上の結果は、神経ステロイドがストレス反応性に産生されるstress modulatorであることを示唆している


    急性ストレスの場合には、神経ステロイド産生は増加するが、慢性ストレス下においては、 Allopregnanoloneとその前駆体DHPが減少することが知られている。一方でpregnenoloneやprogesteroneは減少しない


    慢性ストレス下の動物モデルにおいて、 Allopregnanolone産生を亢進させると行動異常が正常化することが知られている


    慢性ストレスは、 Allopregnanolone減少をもたらし、うつ症状につながるのかもしれない


    大うつ病患者の髄液中および血中Allopregnanolone減少が報告されている


    いくつかの報告では、うつ病の治療成功後にAllopregnanolone濃度が改善したことを報告している


    さらにうつ病死後脳研究において、前頭前野の錐体細胞において1型5AR(神経ステロイド合成に関与する酵素)の発現が50%減少していたことが報告されている。

    うつ病を合併するPTSD患者においても同様のAllopregnanolone濃度減少を示唆する報告がある。

    男女で酵素活性の欠損に性差が存在するとの報告があり、男性では5AR活性の低下が、女性では3α-hydroxysteroid dehydrogenaseの異常が報告されている

     

    産後うつ病と神経ステロイド

     

    産後うつ病では神経ステロイドの変化を伴うと考えられている。

    多くの女性が妊娠後に一過性の気分変動を経験し、産後に持続的な気分障害と伴う産後うつ病の罹患率は15%との報告がある。その発症時期は妊娠第3期から産後6か月までの報告がある


    妊娠期間においては、 Allopregnanoloneなどの神経ステロイドは劇的に増加し、出産とともに急激に減少する。

    一方で、GABA A受容体δサブユニット発現量についても変化するが、妊娠期間中は発現抑制され、産後神経ステロイドの減少と同時に発現増加するが、発現増加までラグが存在する。

    そのため、このラグが存在する間において神経細胞の過剰興奮状態がもたらされ、高ストレス状態ないしうつ状態がもたらされるのではないかとの仮説が存在する。

    これらは動物モデルでの現象であり、産後神経ステロイド投与で産後の行動異常が是正されたという。

    またδサブユニット発現をノックアウトないしノックダウンしたモデル動物においては、非妊娠期間では正常な行動を示すが、産後においては顕著な行動異常(ストレス様行動や仔殺し)を呈することが報告されている、さらにNAS投与により行動異常の是正が報告されている

     

    依存性リスク

     

    よくわかっていない

     

    *****

     

    論文の概略は以上となります。ベンゾジアゼピンとの違いがよくわかりました。また産後うつ病の病態仮説についても大変興味深いものです。依存性、耐性についての検証は今後の課題というところでしょうか。


    SAGE-217の今後の動向が気になります。


    ところで、この論文3)中に、ベンゾジアゼピンは抗うつ作用がないとの一文がありましが、これについてはそう言い切ることもできません。またそうでないというエビデンスも不十分です。

    というのは、昔の論文で、あまり知られてはいないかもしれませんが、1995年にこういう論文”Treatment of depressive outpatients with Lorazepam, alprazolam, amytriptyline and placebo”4)がでているのです。

    結果は6週間で実薬群はいずれもプラセボと有意差をもって有効であったというものでした(ベンゾとアミトリプチリン有意差なし)。

    評価項目はHAM-Dなどであったため、それは当然だろうとも思えます。というのもHAM-Dには不眠や不安、焦燥などの項目が入っており、当然ベンゾはそれらを解消してくれることが期待できるはずです。

    しかしながら、HAM-D下位尺度の改善度の図もあり、HAM-D1(抑うつ気分)、HAM-D2(罪責感)、HAM-D3(自殺)、HAM-D7(仕事と活動)などの項目もプラセボと明確な差があるようなのです。

    これをどう解釈すればいいのか。その後の検証もあまりないようなので、なんともいえませんが、少なくとも実用的な結果ではないことは確かです。ベンゾを長期間用いることは、それこそ依存性、耐性、離脱症状などのため薬漬けとなるリスクがあり、全く推奨できません。

    その点においてもSAGE-217が今後どのような評価になるのか、興味深いところです。

     


    1)Meltzer-Brody S et al. Lancet. 2018 Sep 22;392(10152):1058-1070.
    2)Gunduz-Bruce H et al. N Engl J Med. 2019 Sep 5;381(10):903-911
    3)Zorumski CF et al. Neurobiol Stress. 2019 Sep 27;11:100196. doi: 10.1016
    4)G Laakman et al. Psychopharmacology (1995) 120:109-115

  • 新型コロナウイルス感染症に関した話題

    4月1日にアメリカ睡眠医学会のWebinarが行われました。
    この時すでにアメリカでは新型コロナウイルスが猛威を振るっており、社会的不安が高まる状況の中で、睡眠専門家がどのようにセルフケアすべきかについて、メリーランド大学の睡眠生理学者のEmerson Wickwire博士が講演しました。

     

    Zoomで行われ、アメリカ東部時間の正午から開催で、日本時間の午前4時開始だったので、私は待ち構えていたのですが、結局寝落ちしてしまいました。しかしその後ありがたいことにYoutubeで無料公開されたので、誰でも見ることができます。
    興味がある方は”Self-Care for Sleep Professionals During Difficult Times”で検索してみてください。

     

    内容は、いかに不安と向き合い、不安を減弱し、睡眠に入りやすくするか、そして終息後に向けて、というものでした。


    内容の多くは第3世代認知行動療法がベースにするマインドフルネスの概念などから引用されたもので、馴染みのある内容でしたが、あらためて聞いてみて、実際にwhat if・・よりもwhat is・・に注目するという辺りは、私自身の最近の入眠困難にも効果があった気がします。

    CBT-iなど、どんなものか耳学問では知っていても、いざ自分がとなるとなかなか自分に対してはうまくはいかないものです。
    内容のアウトラインを以下に書いてみます。

     

    緊張からの開放

    目を閉じて、自身の身体の緊張している部位を感じます。


    次に、ストレスをクールダウンさせるための呼吸を3回行います。腹式呼吸で行い、横隔膜が下がり腹部が膨らむことを意識します。
    4秒で息を吸い、8秒で吐く。それも合計3回繰り返します。


    これにより緊張から解放されます。

    心の柔軟性を開放し、不安を減らす

     

    次に心の柔軟性を開放します。心が柔軟性を失うと、慢性的な不安に取りつかれたり、慢性的なうつ状態に陥ったりします。


    不安の一部は恐怖から生じます。


    恐怖は不確実性が存在するとより強まります。


    不確実性を無くすことから始めましょう。


    まずは不安に思うことを書き出します。


    次に自分がどうしたいかを明確にします。


    さらにさまざまな代替案を考えます。ブレインストーミングの手法を用います。より自分自身が不安にならない方法を考えます。
    たとえば、収入を失うかもしれないという不安であれば、まずファイナンシャルプランナーと話し、ついで公的扶助について調べ、さらに上司に悩みを打ち明けるなど。


    ついで考え出した案について、賛否両面から評価します。

    最後に行動します。

    不安を防ぐには、ネガティブな考えに陥る材料を遮断し。不確実な情報源からの情報を遮断し、信頼できる情報源のみから情報を得ることが重要です。ワイドショーやtwitterなども、不要な不安を煽られるならば遮断しましょう。

    覚醒を制御する

     

    覚醒を制御するためには、儀式的なプロセスを構築することが望ましいです。

     

    例えば、仕事が終わりメールを遮断することが最初の段階となります、次いでTVを見るなどするリラックスする時間帯をつくり、TVを切ることで次の段階に進みます。睡眠前段階では、歯磨きなどを行います。歯磨きを終えることで次の段階に進み睡眠に入るようにします。

     

    このように一連の流れを儀式化、習慣化することにより、覚醒を制御しやすくなります。

    ポジティブな感情を増やす

     

    認知行動療法の基盤でもありますが、感情と行動と思考は相互に影響しあっており、どれかを変えることで、お互いを変化させることができるとの仮説があります。


    どんな小さなポジティブな感情であっても、行動や思考を変化させうるとの考えに基づきます。逆にちょっとした行動や思考がポジティブな感情を産み出しうることとなります。


    最初のステップは、現実は何かに集中することです。もし・・だったらではなく、現実は何かに集中します。もし・・だったらは多くの不安を産み出します。

    例えばもし感染が広がったらどうしようとか、もし彼氏が浮気していたらどうしようとか、そういう考えではなく、現実のこと、現実に起きたことのみに集中します。


    30秒だけ、視覚以外の感覚を用いて、何が聞こえるか、どんなにおいか、どんな味か、どんな感触か、を描写します。


    これにより、ポジティブな感情への感性を高めます。


    続いて、3つから5つの、ちょっとした感謝できる事実の出来事を思い浮かべます。


    例えば、朝がとても静かな時間だったとか、子供と一緒に葉の上の水滴探しをしたとか、家族と歩くときに日差しを感じられたとか、誰かと一緒に過ごせたこととか、ちょっとした日常の中の感謝できることをでいいのです。

     

    寝付くときに、頭の中をぐるぐると不安が渦巻く状況においても、この手法は適応できます。頭の中を、もしも・・ではなく、現実の出来事で埋めていきましょう。そうするといつの間にか眠りに入るでしょう。

     

    他にもいくつかのtipsがありましたが、専門家が話すとなんとも説得力のあるお話でした。明日にでも緊急事態宣言が出されようかという状況の中、少しでも皆さんが心身ともにご健康であることを願います。

     

    最後に、私自身が参考にしているサイトをご紹介します。
    もちろん行政機関からの情報は重要ですが、これからどうなるのか、どのように注意すべきかという科学的な根拠と指針が示されているという点で、参考になりました。モデルに基づいた数式からの解析ですが、多くの専門家が信頼できる情報源として認めるところと思います。(基本再生産数3.0を仮定しているので、実際よりも多く見積もられているかもしれません)
    佐藤彰洋教授による情報です。
    https://www.fttsus.jp/covinfo/considerable-discussion/


    ここから得られる情報で重要な点は、仮に基本再生産数が3.0であり、このモデルが妥当であれば、直接接触の機会を8%まで減らしても、その後ダラダラと感染者数が横ばいな状況が続いていくということです。


    人と人との接触機会を減らすことに躊躇してはならないというメッセージが伝わります。

  • リード・タイム・バイアスなのか? 2020年04月05日

    なんだか納得のいかない論文がでたのでコメントをしてみます(単に納得がいかないだけで、論文の結果は正しいのかもしれませんが)。

    聞きなれませんが、リード・タイム・バイアスという言葉があります。
    例えば、検診によって癌が早期発見された患者は、有症状のためにある程度病期が進展してから外来を受診した患者に比べ、癌発見が早いことから、見かけ上治療介入開始から一定期間経過後の生存率が増加する可能性のあるバイアスのことです。もし治療介入効果が実は全くなくても、早期発見後3年後と、外来受診後3年後とでは、同じ3年後でも病期が異なるので、見かけ上早期発見3年後の生存率は高くなり、検診後の早期治療介入の意義があるとの誤った解釈につながります。検診による早期発見とその後の治療介入の実益性を正しく評価するために注意すべきバイアスとなります。

    このリード・タイム・バイアスを除去するためには、早期発見時からの介入方法をプラセボと実薬などで無作為割付を行い、二重盲検などで経過をみていく必要があります。もしくは、観察研究であれば、介入開始時点での疾患の病期をできるだけ揃える必要があります。このような研究手段によって、初めてリード・タイム・バイアスを除去できるといえます。

    精神科領域において、このリード・タイム・バイアスを問題とする論文1)が出ました。今回の話題はこの論文を扱います。

    初発精神病に関して、DUP(Duration of untreated psychosis)という言葉があります。これは精神病未治療期間と呼ばれ、精神病発症から治療開始までの期間を指します。DUPには様々な定義があり、精神病発症をどのように定義するのか、治療開始をどの時点とするのかなどで異なります。発症時期を見定める困難さは、後顧的に患者や家族に思い出してもらう形式が多いため、recall biasの影響を受けるなどで正確性に欠ける可能性がある点です。また潜在発症の場合には、発症時期をどの時点と1時点に決め難いこともあげられます。その点で社会的機能の低下なども、発症時期の定義に含める報告もあります。ちなみに今回の論文では、評価者が被検者の初回入院後と6か月後のフォローアップ時点でのインタビューでアセスメントしており、明らかな幻覚、妄想、緊張病症状の発現時期となっています(陽性症状の顕在化時期に着目している)。

    なぜこのDUPが注目を集めているのか。それはもし仮にDUPが統合失調症の予後規定因子であるならば、外部から操作可能な予後規定因子になるからです。統合失調症の予後規定因子として性別、病前社会適応、発症年齢など1)が知られていますが、いずれも操作困難であり、早期発見、早期治療で予後が良くなりうるとすれば、精神医学にとって重要な課題となります。DUP短縮につながりうる試み、あるいはそれ以前に精神病の顕在発症自体を防ごうとする試みとして、精神病が顕在発症するさらに前の段階である、臨床的精神病高リスク状態(Clinical High Risk of psychosis:CHR-P)または精神病の超ハイリスク状態(ultra-high risk of psychosis:UHRP)とよばれる状態を捉え、さらに早い段階から介入しようとする試みも世界中で行われています(これについても最新の総説2)がJAMA Psychiatryで出版されましたので、いずれ記事にしようと思います)。

    DUPについてのエビデンス構築は困難な過程となります。これについては、Jonasらの論文が掲載された号のAmerican Journal of Psychiatryの編集記3)において記載された以下の一文に集約されます。
    ”Because ethically we cannot randomly assign individuals to a long or short DUP, we do not have definitive evidence with which to answer questions about the clinical consequences of early intervention”
    (倫理的にDUPに対する介入試験(DUPの短い群と長い群に無作為割付するような)は不可能である。そのため、早期介入の有効性に関する明確なエビデンスを得ることはできない)
    したがって、我々は、観察研究からの帰結に頼るしかない現状で、全ての交絡因子を除外できない以上、DUPに関しての明確なエビデンスを手にすることはできないということになります。そのため、せめて質の高い大規模な前向き観察研究による検証が期待されます。

    今回の報告は、The Suffolk County Mental Health Projectというニューヨーク州サフォーク郡で行われた、初発精神病で入院し、統合失調症ないし統合失調症スペクトラム障害と診断された患者287名を対象とした長期間(20年間)の前向き観察研究から得られた結果になります。

    この報告では、まず、統合失調症においてDUPが長いとなぜ予後が不良にみえるのか、について以下の3つの仮説が立てられました。
    (1)1つ目の仮説としては精神病症状が有害であり(仮説としてグルタミン酸神経の興奮毒性などにより)、長期間の精神病症状が不可逆な神経学的、心理学的損傷をもたらすとの説。この仮説が正しければ病前の社会的機能は同じレベルであり発症後に低下していくこととなりDUPが長いほど低下の度合いが大きいこととなる
    (2)2つ目の仮説として、DUPの長さは、統合失調症の病型がより重症であることと関連するとの仮説。DUPが長い群は、より陰性症状主体の発症形式であり、病前からの社会的機能が低く、治療抵抗性であるとの仮説。この仮説が正しければ、DUPが長いと、発症前の社会的機能はより低く、さらにその後の疾病経過もより重症な経過をとりうることとなる。
    (3)3つ目の仮説は、DUPは疾患の予後を予測するものではなく、単に疾患の病期を反映するとの仮説。DUPが長い患者は、初回入院時に既に疾患の進行期にあり、それゆえに社会的機能も低いとするもの。DUPの長短による社会的機能の低下の度合いの差は、リード・タイム・バイアスによる見かけ上の差であるとするもの。この仮説が正しければ、疾患の発見が早かろうが、遅かろうが、疾患の経過と予後そのものは変わらないこととなり、長期予後はDUPの長短と関連しないこととなる。

    この観察研究は、以上3つの仮説のうち、どれが正しいのかを検証する目的で行われました。

    アセスメントの実施は初回入院時と初回アセスメント後6か月後、24か月後、48か月後、10年後、20年後にインタビュー形式で行われました。

    主要評価項目は発症前についてはPremorbid Adjustment Scale(PAS)で評価。学校の記録や両親のPAS評価、本人のPAS評価などで評価。小児期から18歳までの心理社会的機能を評価。初回入院後はGAFで機能障害を評価。同一軸で評価するためPASをGAFに一定のルールで変換して評価。
    ここで、うーんGAFかあ、と思いました。最後にコメントします。

    共変量として、患者家族の主たる養育者の職業(1(経営者クラス)から8(無職)までの8段階で評価)、抗精神病薬処方の有無(0か1)を設定。DUPと入院前後での心理社会的機能の変化の関連についてはKendall rank-order correlationsで解析。DUPと心理社会的尺度(GAF)の変化との関連については、DUPが短い群(256日未満)、中間の群(256-629日)、長い群(630日以上)とに層別化し、LOESS関数(離散データを平滑化するための関数)で視覚化し、相関についてはmultilevel spline modelsを用いて解析。結果は性別、職業、人種、抗精神病薬処方の有無で調整。

    結果です。ちょっと衝撃的な結果となります。
    ・DUPは最初の入院時点、6か月時点、24か月時点での心理社会的機能と有意な相関を示した(DUPが長いと心理社会的機能が有意に低かった)
    ・DUPと病前機能の差異との関連は有意ではなかった(病前機能はDUPの長短と有意な関連はみられなかった)
    ・DUPと入院後24か月以上の長期の心理社会的機能予後との関連は有意ではなかった(DUPが長かろうが短かろうが、24か月を超える予後には影響がないようだった)
    ・DUPが長いと、小児期から最初の入院までの心理社会的機能の低下はより有意に大きくなった。しかし、その後のフォローアップ期間においては、反対にDUPが短いとより入院後の心理社会的機能低下が有意に大きいとの結果となった。

    つまり、DUPが長くても短くても、精神病症状の発症時点を基準にすると、心理社会的機能の低下は、DUPが長い群も短い群もほぼ同じ時間経過をたどる。つまり、入院時点でのDUPが長いと、その分心理社会的機能は低いが、単に発症から長く時間がたっているだけであり、DUPが短い群は、なんらかの要因により早期に発見され入院しただけであるともいえる。このことは仮説(3)を支持する結果と言え、DUPが長いと入院時点での機能が低いのはリード・タイム・バイアスの結果と言える、ということになりました。

    DUPが長いと精神病症状による神経障害が進行し、それゆえより予後が悪化するとの神経障害仮説は支持されず、DUPの長短はその後の長期的な予後に有意な影響を与えないとの結果です。また潜行性の経過をたどる、病前社会的機能の低い陰性症状主体の患者群がDUPが長く、さらに予後も悪いとの仮説も支持されなかったことになります。なんだか納得がいきません。

    この結果が正しければ、例えば、2018年のJAMA Psychiatryに掲載された、DUPと治療開始後の海馬体積の変化を調べた論文4)の結果(DUPの長さと、8週間での左海馬体積の減少率は有意な相関を示した)についても、単にDUPが長い=疾患の進行期であり、より初期よりも急激に体積減少が起きている時期をみているだけ、ということになってしまいかねません。

    なんとか反論したいので、手法についてちょっとつっこんでみます。どれほど意味のあるつっこみかはわかりませんが、まず主要評価項目としての心理社会的尺度として、GAFを使っているところ。

    皆さんご存じの通り、GAFを見ると、
    60-51点:中等度の症状、または、社会的、職業的、 または学校の機能における中等度の障害
    50-41点:重大な症状、または、社会的、職業的または学校の機能において何か重大な障害
    とあるように、症状または機能となっており、どちらか重たい方をとることとなります。つまり、症状をみているのか機能をみているのかわからない。おそらく両者に一定の相関はあるとは思いますが、ここはすっきりしません。
    もっと純然たる心理社会的尺度を主要評価項目に用いてアセスメントをした方がよかったのではないかと思われます。

    たとえば、DUPと予後についての割と最近の報告として、中国で行われた14年間の前向き観察研究があります5)
    この報告では209名の統合失調症患者をDUPが6か月以下と6か月より長い群とに層別化し、予後を比較しています。
    Jonasらの論文よりも若干観察期間は短いけれど、似たような規模の報告といえます。GAFだけでなく、PANSSとか独身率、有症状期間、就労、犯罪率、寛解率など様々な尺度を用いて評価しています。
    結論として、14年後においてDUPが長い群は独居率が有意に高く、PANSS generalとnegativeで有意に高く、有症状期間も長いとの結果となりました。この報告では、Jonasらのように、精神病発症時期に横軸を合わせて、リード・タイム・バイアスを無くした状態で両群の変化を比較することをしていませんが、Jonasらの論文と同じ解析はできるはずですので、彼らの結論が正しいのか、いろいろな尺度で検証しうると思います。14年という長期経過後の結果なので、リード・タイム・バイアスを考慮にいれても有意差は残る気がします。
    真実は今後の検証結果をまつということになるでしょうか。

    1)Jonas KG, et al. Am J Psychiatry. 2020 Apr 1;177(4):327-334
    2)Fusar-Poli P et al. JAMA Psychiatry. 2020 Mar 11. doi: 10.1001
    3)Donald C. Goff, et al., Am J Psychiatry 2020 Apr 1; 177(4):1–3
    4)Goff DC, et al., JAMA Psychiatry. 2018 Apr 1;75(4):370-378
    5)Ran MS et al., Psychiatry Res. 2018 Sep;267:340-345

  • これはすごい

    専門外ではありますが、当事者の方と御縁があったこともあり、最近5年間くらいずっとALSの臨床試験などの動向を追いかけています。


    ここ最近、印象的な話題があったのでコメントします。
    夢のある話題でもありますので、興味がある方はお読みください

     

    このブログの記事を書くきっかけになった論文は、こちらの論文(Mol Ther. 2020 Jan 14. pii: S1525-0016(20)30011-3)ですが、この論文について触れる前に、遺伝子編集技術の進歩を簡単に振り返ります(大雑把なことしかわかりませんが)。

     

    CRISPR-Cas9と呼ばれる遺伝子編集技術は2012年に報告され、遺伝子配列の任意の場所を削除、置換、挿入することのできる技術として注目されました。
    当初報告されたCRISPR-Cas9はDNAの二本鎖を両方とも切断するため、その他の部位で予期しない遺伝子変化を生じるリスクがあり、実用性には乏しいとされていました。


    その後選択性を高める工夫はいろいろなされましたが、2017年にDNAではなく、RNAをターゲットとする遺伝子編集技術(RNA-targeting Cas9、略してRCas9)が開発されました。2017年8月のCell誌に公表された論文(Ranjan Batra et al., Cell,170(5), P899-912.e10, August 24, 2017)では、RCas9により、ALS患者細胞内(C9orf72遺伝子変異ALSなど)でみられうるマクロサテライト反復伸長とよばれる繰り返し配列を有する異常RNA蓄積の除去に成功したことが報告されました。

    CRISPR-Cas9システムにおいては、RNAプローブが特定のDNA配列に結合し、Cas9酵素がDNAを切断しますが、RCas9では、RNAをターゲットとし、RNAを切断します。DNAに恒久的な変化をもたらす手法においては、選択性が完全ではない場合に、ターゲットではない部分の遺伝子編集が行われ、危険が生じる可能性がありますが、RNAをターゲットとすることで、効果が可逆性となることから、安全性が高いことが期待できます。

    さらにMITの研究者らによりRNAの単一塩基配列の編集が可能となりました(Science. 2017 Nov 24;358(6366):1019-1027)。CRISPRシステムに改変を加えたREPAIR(RNA Editing for Programmable A to I Replacement)とよばれる技術により、正確に選択的なRNA配列のアデノシンをイノシンに置換することが可能となりました。これにより一部のデュシャンヌ型筋ジストロフィーやパーキンソン病などでみられる点変異(グアノシンからアデノシンへの変異)に起因した病態への遺伝子編集による治療が可能となる道が拓けました。

    当然、このような遺伝子編集技術を、治療的にALSに対して応用しようということになります。

    遺伝子変異が明らかな家族性ALS(ALS全体の10%程度と言われていますが)、その家族性ALSの中の20%程度を占めるといわれるSOD1遺伝子変異ALSなどがターゲットとなります。このSOD1変異ALSにおいては、変異したSOD1蛋白質が折り畳み異常を呈し、細胞質内で凝集体を形成することが主要な病態と考えられています。そうなると当然この異常SOD1蛋白質の発現をなんとか阻害しようという治療戦略になり、そのために例えば変異SOD1遺伝子由来のmRNAの相補的配列を有するアンチセンス・オリゴヌクレオチドにより、mRNAからの蛋白質への転写過程を阻害しようとする治療戦略(これについてはBiogen社などが開発中で、すでに第3相試験に到達しています。日本でも2019年から第3相試験への参加者が募集されていました(まだ募集中でしょうか?)。ただし投与経路がクモ膜下腔内投与のため、腰椎穿刺が必要など侵襲性はやや高いものです)や、マイクロRNAを用いて、発現を阻害しようとする治療戦略(アデノ随伴ウイルスベクターを用いた動物実験での成功例が報告されています。これは静注できるので、投与経路は安全です)などの手法が現在精力的に研究されています。

    そこに、遺伝子編集技術による治療法開発も参入しています。こちらの論文(Sci Adv. 2017 Dec 20;3(12):eaar3952)にて公表されたように、アデノ随伴ウイルスベクター内にCRISPR-Cas9システムを組み込んで、モデルマウスに投与し、in vivoで遺伝子編集を行い、運動神経細胞内における変異SOD1遺伝子の発現を阻害しうることが示されました。アンチセンス・オリゴヌクレオチドやマイクロRNAを用いる方法と比較して、選択性や効率がより高い点が期待しうるのではないかとのことです。

    DNAについてもCRISPR技術の応用により一塩基編集技術が開発されました(Nature. 2016 May 19;533(7603):420-4.)。CBEs(cytidine base editors)とよばれるこの方法は、単一塩基を変化させるものであり、具体的にはシトシン(C)をチミン(T)に変化させるものです。

    これをALS治療に応用しようとしたのが、今回の論文(Mol Ther. 2020 Jan 14. pii: S1525-0016(20)30011-3)となります。研究者らは変異SOD1遺伝子の上流部位を終止コドンに変化させるようCBEsに基づくシステムを構築しました。さらにこのシステムをアデノ随伴ウイルスベクターに組み込み、モデルマウスに投与して治療的効果がみられることを報告しました(そこまで劇的な効果ではありませんでしたが)

     

    ここからが空想です。
    このような話が例えば癌医療にも将来応用ができれば、患者ごとの癌の遺伝子変異を同定し、その癌の増殖を抑制するようにうまいこと終止コドンに変化させるようなCBEsをエンコードしたアデノ随伴ウイルスベクターを作成し、それを静注すれば癌の治療終了、みたいな、夢のようなまさにPrecision Medicineが実現できるのでは、などと勝手に夢想していました。

    実際の研究の進展はどうなのでしょうか。実際にはウイルスベクターを用いることによる限界や、効率の問題、副作用の問題、癌細胞の遺伝子変異なんて同一生体内でもとらえきれない程variantが多く、そんなに単純な話でもないのかもしれません。
    しかし夢のある話だと思われませんか?専門家の方に一度お話を聞いてみたい気がします。これからの研究の進展に期待です。

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