院長ブログ

  • バーチャルリアリティー 2021年08月14日

    ・とある論文のイントロで、認知療法と行動療法の治療効果の違いについて、社交不安症については古いメタ解析では有意差がでてない、という話がでていて、真っ先に思い浮かんだのは、うつ病に対して行動活性化療法と認知行動療法とで無作為割付試験を行ったCOBRA試験の結果でした(Lancet. 2016 Aug 27;388(10047):871-80)


    ・COBRA試験の結果の概略としては、12か月後の寛解率(PHQ-9で9点以下で定義)は行動活性化療法 66%、認知行動療法 66%で有意差なく、行動活性化療法の認知行動療法に対する非劣性が支持されたという結果でした。コストについては行動活性化療法が約2割強有意に低く、驚いたのは、認知の再構成を行わなくても結果が変わらなかったという点でした。というわけで行動療法のみでも、それなりの治療効果は期待できそうです。

    ・日本発の精神療法である森田療法は、ありのままを受け入れるという点で第3世代認知行動療法に近いといわれますが、行動面での介入も中心的な構成要素である点では、不安症にかなり良好な治療成績をあげることが期待できそうですが、残念ながら介入試験が少ないこともあり(ほとんど中国からの報告)、コクラン・レビュー(Cochrane Database Syst Rev. 2015 Feb 19;(2):CD008619.)でもエビデンスとして明確な結論を導きだすことができないという現状のようです。


    ・社交不安症における暴露療法と認知行動療法の比較については、2014年のネットワークメタ解析(Lancet Psychiatry. 2014 Oct;1(5):368-76.)でも検討されていて、暴露療法のSMDは-0.83(95% CI -1.07 to -0.59)、個別CBTのSMDは-1.19(95% CI -1.59 to -0.81)であり、両者の有意差はやはりない状況でした。

    ・この暴露療法をバーチャルリアリティでしてしまおうという試みがあります。今回取り上げるのは、Delft Remote Virtual Reality Exposure TherapyシステムというVRシステムを使用した社交不安症患者に対するVR暴露療法の介入試験です。


    ・これまで社交不安症に対する介入試験はいくつか報告されているようですが、認知面への介入を一切行わない、純粋に暴露療法のみで比較された介入試験は現在までにこの報告(Behav Res Ther. 2016;77:147–56)しかないようです。現実世界での暴露に、バーチャルリアリティーはどこまで迫れるのか、ざっと内容をまとめてみます。

    VR技術による社交不安症治療


    背景

    ・社交不安症は、アメリカで最も一般的な精神疾患の一つであり、生涯有病率は12.1%と推定されている。しかし患者の約3分の1しか治療を受けていない

    ・CBTの中心的な要素は、恐怖刺激に直面しながら安全行動を排除することで、患者が恐れている否定的な結果が起こる可能性が低いことを学習する暴露である

    ・CBTは、認知再構築と暴露の両方を用いて、不適応な認知と行動を修正することを目的としている。これまでのメタ解析では、CBTと暴露療法単独(認知面の修正を行わない)との比較では、治療効果に有意差がないことが報告されている

    ・バーチャル・リアリティを用いた暴露療法(VR暴露療法)は特定の恐怖症において広く研究されているが、社交不安症の治療におけるVR暴露療法の有効性に関する研究はまだ限られている

    ・VR暴露療法についての介入試験はいくつか報告されているが、いずれも治療群ではVR暴露療法とCBTが併用されており、VR暴露療法単独の有効性は検討されていない。また暴露対象についても特定の場面のみとなっていた

    ・今回、認知面での介入のない純粋な暴露療法としてのVR暴露療法と、現実場面での暴露療法(in vivo exposure)を、様々な社交的場面における暴露対象を取り入れて比較する介入試験を行った

    対象と方法

    ・18-65歳の社交不安症患者(DSM-IV)。The Social Interaction Anxiety Scale(SIAS)で29点以上

    ・除外基準として、過去1年以内に心理療法を受けたことがある、現在抗不安薬を使用している、最近6週間以内の抗うつ薬の用量変更、精神病の既往、希死念慮を有する、物質依存、認知機能障害など

    ・主要評価項目はLiebowitz Social Anxiety Scale-Self Report (LSAS-SR)

    ・社会的状況において他者から否定的な評価を受けることに対する主観的な恐怖はFNE-B(Fear of Negative Evaluation Scale-Brief Form)で評価

    ・副次評価項目として、行動回避の程度を評価するための5分間の即興スピーチ課題におけるpublic speaking performance measureを用いた発話パフォーマンスを測定、DASS-21で抑うつ、不安、ストレスなどを評価、回避性パーソナリティ障害関連の信念は、Personality Disorder Belief Questionnaire (PDBQ)で評価、QOLをEUROHIS-QOL で評価

    ・VR暴露群 n=20
    ・In vivo暴露群 n=20
    ・Wait list群  n=20

    ・VR暴露群およびin vivo暴露群ともに、1回90分のセッションを週に2回、合計10セッション施行

    ・宿題はなく、セッション中の暴露のみで構成された。両群ともに認知面への介入は行われなかった

    ・評価は介入前、介入後(5週後)、介入終了後3か月時点に行われた

    ・VR暴露には、Delft Remote Virtual Reality Exposure Therapyシステムを使用

    ・VR暴露では以下の社交的場面で暴露療法を実施。患者は、すべての仮想場面を少なくとも1回、不安が減るまで練習。暴露場面の不安強度に応じて段階的暴露を実施。半構造化された対話は、別室にいるセラピストによって行われた

    〇教室:聴衆(12人)の前で一般的または個人的な話題について講演を行い、その後、聴衆(セラピスト)からの質問に答える

    〇バス停:バス停で見知らぬ人に話しかけ、質問し会話の練習をする(道順など)。

    〇レストラン:就職面接場面では、患者はウェイターの仕事に応募し、質問を受ける(例:以前の経験など)。食事の場面では、患者は相手と個人的な会話をしたり、注文したものに対して不満を言う練習をする。

    〇ショップ:仮想的服屋で店員と会話。店員は複数の商品を買うように説得したり、商品を返品する際に別の商品を買うように説得したりする

    〇駅:ラジオ局の男性2人から、政府に対する意見についてインタビューを受ける

    〇ミーティングルーム:会議室で、テーブルに座った4人の前で、少人数の聴衆を前にした会話を練習。会話の後、患者は聴衆からの質問に答える。

    〇カフェ:テーブルに座って、ウェイターと会話をする。もしくは、お見合いをして、その相手と個人的な話題について話す

    ・In vivo暴露は10回のセッションで構成され、セッション3から9では60分間の暴露を行った。セッション10は再発予防のための振り返りなどを行った。VR暴露と同様に、セッション1と2では、治療の理論的根拠と不安の階層について話し合われた。セッション3から9で不安の階層に応じた段階的暴露が行われた。社会的場面としてはセラピストのオフィス、スーパー、カフェ、ショップ、地下鉄の駅などで実施できる暴露療法で構成された


    結果

    ・社交不安尺度であるLSAS-SRについては、介入後(5週後)においてはwait list群と比較して、VR暴露群、in vivo暴露群ともに有意な改善がみられた。改善度はin vivo暴露群がVR暴露群より有意に大きかった。また介入後3か月時点でのLSAS-SRのベースラインからの変化量もin vivo暴露群はVR暴露群より有意に大きかった

    ・他者から否定的な評価を受けることに対する主観的な恐怖尺度であるFNE-Bについては、in vivo暴露群はwait list群と比較して、ベースラインからの変化量が有意に大きかったが、VR暴露群については、wait list群と有意差がなかった。介入後3か月時点でも同様であった

    ・スピーチパフォーマンスについては、in vivo暴露群は、介入後においてべースラインからの変化量がwait list群と比較して有意に大きかった。一方VR暴露群は有意差がなかった

    ・回避性パーソナリティ障害関連の信念に関する尺度(PDBQ)については、5週後の両群のベースラインからの変化量はいずれもwait list群より有意に大きかった。しかし介入後3か月時点においては、ベースラインからの改善度はin vivo暴露群がVR暴露群より有意に大きかった

    ・DASS-21で評価されたストレス尺度は5週後に両群ともにwait list群よりも有意に改善。不安尺度については、in vivo暴露群のみがwait list群より有意に改善。抑うつ尺度については、両群ともにwait list群との有意差はみられなかった

    ・EUROHIS-QOLで評価したQOL尺度については、5週後においてin vivo暴露群はwait list群と比較して有意に良好であった。VR暴露群は有意差なし

    結論

    ・この試験で使用されたVR暴露はin vivo暴露にいくつかの指標で劣る結果であった。VR環境におけるアバターに表情がなかったことも一因かもしれない

    ・自宅からでることすらできない、もしくは現実世界での暴露が困難な重度の社交不安症患者にはVR技術は治療の入り口として有用なツールになるかもしれない

    ・VR環境では簡便に様々な場面での暴露を体験できるため、将来的に有用かもしれない

    ・暴露療法における社会的状況が両群で同一ではなかったことは本研究の限界となる

    コメント

    ・アバターに表情や豊かな感情表出などがあれば、また結果も違ったかもしれません。社交不安症治療においては、まだVR技術は現実世界には及ばないところがあるというところでしょうか。今後の技術の進展により、どこまで現実世界での暴露に近づけるかというところは注目です。

  • この先に道があるか

    ・まだ細胞モデル段階での研究ですが、ALSの病態解明に向けて、もしかしたらブレイクスルーになるかもしれないと期待される報告がでました。


    ・よくわからないけど面白そうなお話なので、少しまとめておきたいと思います。この研究の舞台となるのは、核細胞質間輸送の構成要素です。ちょうどよい総説(Neurobiol Dis. 2020 July ; 140: 104835. doi:10.1016/j.nbd.2020.104835)があったので、このイントロから少しまとめてみます。


    ▽核細胞質間輸送の制御に関わる蛋白質群には、大別して1)核膜孔複合体を構成するヌクレオポリン、2)核膜孔複合体を介して選択的にRNAや蛋白質輸送体をシャペロンで輸送する核輸送受容体、3)核原形質と細胞質における核輸送受容体に特異的な輸送体の運搬と放出を制御し、輸送の方向性を決定する低分子GTPaseであるRanとそれに付随する蛋白質群の3つがある。


    ▽核膜孔複合体は、30種類以上のヌクレオポリンからなる蛋白質複合体で、中央チャネルにフェニルアラニン・グリシンリッチヌクレオポリンが存在し、核に出入りする物質を厳密に制御しており、局在化または核輸出シグナルを付与された大型蛋白質のみが、核輸送蛋白質に結合して核膜孔を通過することができる。


    ▽個々の核には数百から数千個の核膜孔複合体が存在し、数と密度は、細胞周期や細胞の種類によって変化する。ヌクレオポリンの中には、細胞内で最も寿命の長い蛋白質があり、一度核膜孔複合体が形成されると、細胞の一生の間にほとんどないし全く入れ替わることがないものもある。したがって、核膜孔複合体の機能を損なうようなわずかな変化であっても、時間の経過とともに蓄積されると、核膜孔輸送の障害や細胞質内の核蛋白質の蓄積、さらには細胞死につながりうる。そのため核膜孔複合体は、神経変性疾患で観察される遅発性の神経細胞特異的な細胞死を説明する有力な病態部位であると考えられている。


    ▽ALS/FTDでは本来核内にあるはずのRNA結合蛋白質が細胞質内に異常局在化する病態が知られており、 TDP-43蛋白症は、ALSのおよそ97%、FTDのおよそ45%に存在するが、FUS異常局在化はあまり一般的ではなく、ALSの1%、FTDの9%程度である。


    ▽ここ最近ではC9orf72遺伝子変異ALS/FTDのみならず、孤発性ALSにおいても、核膜孔複合体の機能的、形態的異常が報告されており、様々なタイプのALSにおける共通した病態である可能性が指摘されている。


    ・というわけで、このところ注目の核膜孔複合体ですが、今回の論文(Coyne AN et  al. Sci Transl Med. 2021 Jul 28;13(604):eabe1923. doi: 10.1126/scitranslmed.abe1923.)では、核膜孔複合体の品質制御に関わるCHMP7という蛋白質が核内に増加することが、TDP-43蛋白症の引き金になるのではということが報告されました。TDP-43蛋白症の上流に位置するC9ALSおよび孤発性ALSに共通する病態がみつかったかもしれない、ということで注目されています。


    ・今回の報告では、孤発性ALSの病態をモデルマウスで再現することはできないため、患者由来iPS細胞が使用されました。Coyneらのこれまでの研究で、C9orf72遺伝子変異ALS患者由来iPS細胞を用いた研究において、核膜孔複合体と核原形質においてPOM121をはじめとする特定の8つのヌクレオポリンが大幅に減少していることが報告されています。しかしこれら特定のヌクレオポリンがなぜ減少するかはわかっていませんでした。今回Coyneらは、核内CHMP7蛋白質の増加が、この原因となりうることを示しました


    ・Coyneらは、構造化照明顕微鏡法を用いて、C9orf72遺伝子変異ALS患者iPS細胞由来運動神経細胞および、孤発性ALS患者iPS細胞由来運動神経細胞における核膜孔複合体を観察し、両者に共通して、Nup50、TPR、POM121、Nup133などのヌクレオポリンが減少していることをみいだしました。そこから、両ALSのサブタイプに共通した病態機序が存在するのではという発想に至りました。


    ・続いて核膜孔複合体の恒常性維持に重要な役割を果たす蛋白質であるCHMP7に着目し、構造化照明顕微鏡法を用いて、C9変異ALS患者由来の運動神経細胞と、孤発性ALS患者由来の運動神経細胞を観察したところ、いずれも、核内でCHMP7が対照と比較して有意に増加していることがわかりました。このCHMP7の増加は、ヌクレオポリンの減少に先立って起こっており、CHMP7増加がヌクレオポリン減少の原因であることを示唆する結果でした。


    ・またCHMP7は通常XPO1/CRM1により核外に排出されますが、CHMP7のXPO1結合部位に変異を導入し、XPO1と結合しないCHMP7を作成し、iPS細胞由来運動神経細胞の核内においてCHMP7を増加させたところ、細胞質内にTDP-43の凝集体が形成されました。核内CHMP7増加に伴う核膜孔複合体の機能不全が、TDP-43の細胞質内への異常局在化の原因であることを示唆する結果となります。


    ・さらにCHMP7のmRNAをターゲットとするアンチセンス・オリゴヌクレオチドを用いて、患者iPS細胞由来運動神経細胞におけるCHMP7の核内発現量を減少させたところ、低下していたヌクレオポリンの発現量が回復し、孤発性ALS患者iPS細胞由来運動神経細胞ではTDP-43の核内への局在化が回復しました。


    ・まだわかっていない疑問は、CHMP7がなぜ核内に増加するのかということです。ウエスタンブロット法で半定量化されたCHMP7の核内増加量は、有意差は認めたものの、対照の1.3~1.5倍程度。これがどの程度病態に本質的な影響を与えているのか、あるいは別の要因も関与しているのか、今後の研究の進展により明らかになることが期待されます。また今後はC9変異動物モデルでの前臨床試験などが行われ、CHMP7に対するアンチセンス・オリゴヌクレオチド製剤などの治療的有効性が確認されるかどうかも注目されます。

  • zuranolone 2021年07月29日

    ・神経ステロイド製剤であるbrexanoloneは2019年5月FDAにより産後うつ病に対して静注製剤として承認されました。

    ・その後まもなくして経口投与可能な神経ステロイド製剤の第2相試験の結果がNew England Journal of Medicine誌に掲載されたので、産後うつに対する臨床試験かと思ったら、大うつ病に対する試験で驚いた記憶があります(Handan Gunduz-Bruce et al. N Engl J Med. 2019 Sep 5;381(10):903-91)。小規模試験でしたが、15日目で反応率のNNTが2.6とかなりの数字を叩き出しておりなかなかの結果でした。この時はまだ開発中のコードネームのような薬剤名(SAGE-217)でしたが、今回、一般名zuranoloneが与えられ、産後うつ病に対する第3相試験の結果が報告されました(Kristina M Deligiannidis et al. JAMA Psychiatry. 2021 Jun 30;e211559. doi: 10.1001/jamapsychiatry.2021.1559.)。ちなみにzuranolone(SAGE-217)もbrexanolone(SAGE-547)もSAGE therapeutics社の開発した薬剤となります。

    ・zuranoloneはGABA A受容体のアロステリック調節剤であり、ベンゾジアゼピン系薬剤と異なりδサブユニットにも作用し、シナプス外のGABA A受容体にも作用することが特徴とされています。

    ・試験はプラセボ対照で行われ合計153名の通院中の周産期うつ病患者(妊娠第3三半期から産後4週までの発症)が対象となり、ベースラインのHAM-D17で26点以上と比較的症状の重たいケースが対象となっています

    ・試験期間は2週間(投薬期間も2週間)で、主要評価項目はHAM-D17の変化量でした。

    ・結果ですが、脱落はzuranolone群2名、プラセボ群1名で重大な副作用としてはzuranolone群の1名が記憶障害を伴う錯乱状態(鎮静を要し7時間で改善)を呈しました。この患者は減量してその後も試験を継続しました。またzuranolone群の1名で鎮静のため試験中断となりました。

    ・2週間での反応率はzuranolone群 72%、プラセボ群 48%であり、NNT 4.17となかなかの数字です。プラセボとの有意差は投与開始3日目から明らかとなり、投与終了してから4週後のHAM-Dも両群有意差があり、治療効果が保たれていました

    ・zuranoloneは1日1回経口投与が可能なことが最大の利点であり、brexanoloneの第3相試験(Lancet. 2018 Aug 31. pii: S0140-6736(18)31551-4. )では、治療開始から60時間連続で静注投与が必要であったため、外来での治療ができませんでした。

    ・brexanoloneとの治療効果の比較ですが、ベースラインの患者群が似ている(HAM-D17で26点以上)study 1の結果と比較すると、brexanoloneでは投与終了時点(投与開始から60時間)でのHAM-D変化量は、brexanolone60mg群 19.5点、90mg群17.7点、プラセボ群14.0点でした。一方zuranoloneについては、投与3日目のHAM-D変化量はzuranolone群 12.5点、プラセボ群9.8点でした。やはりbrexanoloneは持続静注していたため、プラセボ効果も大きかったのでしょうか。zuranoloneの投与終了時点でのHAM-D変化量はzuranolone群 17.8点、プラセボ群 13.6点とbrexanolone投与終了時点と近い数字になっています。

    ・というわけで、アメリカで産後うつ病に対して新たな経口製剤が承認されるかもしれません。抗うつ薬と比較して治療効果発現が迅速であることが期待され、今後国内でも使用可能となることが期待されます。

     

  • なんでネコなのか 2021年07月21日

    ・トキソプラズマは何でネコの腸管上皮でしか有性生殖ができないのか。そのナゾに対する答えがわかったのは割と最近のようです。

    ・文献1によれば、ネコは哺乳類の中で唯一、リノール酸の代謝に必要なデルタ-6-デサチュラーゼ活性を腸内で欠損しており、その結果、全身的にリノール酸が過剰になっているということです。腸管上皮でのリノール酸の存在が、トキソプラズマの有性生殖を可能にしているらしいとのことで、この報告ではマウスのデルタ-6-デサチュラーゼを阻害し、その食餌にリノール酸を加えることで、マウスで有性生殖が可能になることを示しています。

    ・というわけで本題ですが、文献2に健常者におけるトキソプラズマ感染と認知機能の関係についてのメタ解析結果が報告されました(文献2)。

    健常者におけるトキソプラズマ感染と認知機能

    背景

    ・トキソプラズマに感染した齧歯類は、非感染の齧歯類と比較して、危険を冒す行動や衝動的な行動を示すことがあり、感染したマウスは、反応速度の低下、学習能力の低下、運動能力の低下を示すことがあると報告されている

    ・ヒトにおいては、統合失調症、双極性障害、自殺リスク、交通事故リスクの増加などとの関連が報告されている

    ・トキソプラズマと統合失調症リスクについては、文献3において約18年間の縦断的なnested case-control 研究の結果が報告されている。

    ・この報告では、症例群としては18歳から65歳までの最近発症した精神病群(n=221、少なくとも中程度の重症度の陽性症状が数日間にわたって続く、もしくは週に数回発生するなどの頻度の精神病症状が過去24カ月以内に初めて発症した群)が設定され、抗トキソプラズマIgG抗体の陽性率が健常コントロール群(n=571)や慢性期の統合失調症患者(n=752)、双極性障害患者(n=444)、うつ病患者(n=64)などと比較された。

    ・最近発症した精神病群はDSM-IVにより精神病症状を伴う気分障害群と、統合失調症圏(統合失調症や統合失調感情障害など)に分類された。最近発症した精神病群の平均罹病期間は約1.3か月であり、慢性期の統合失調症群の平均罹病期間は約20年、慢性期の双極性障害群およびうつ病群では約17年であった。

    ・抗トキソプラズマIgG抗体は固相酵素免疫測定法で測定され、標準試料の0.8倍以上のシグナルが得られた場合に陽性と判定。

    ・抗トキソプラズマ抗体陽性の最近発症した精神病群のコントロール群に対する調整後オッズ比(就業年数、性別、人種、母親の学歴、出生地などで調整)は2.44で有意差あり。非気分障害圏の最近発症精神病群の調整後オッズ比は2.49、精神病症状を伴う気分障害群の調整後オッズ比は2.40でいずれも有意差ありであった。

    ・一方慢性期の統合失調症、双極性障害、うつ病についてはコントロール群と抗トキソプラズマ抗体陽性に関して調整後オッズ比は有意差がないとの結果であった。

    ・この結果については、次のように考察されている。つまり統合失調症については罹病期間が長くなり、かつ再暴露がないと、抗体濃度は時間とともに低下し、発症から何年も経つと対照群と変わらない抗体濃度になる可能性があること。また統合失調症や双極性障害の治療に用いられるバルプロ酸やその他の薬剤は、細胞培養において抗トキソプラズマ活性を持つことが示されており、これにより、時間の経過とともに抗トキソプラズマ抗体の血清陽性率が低下することにつながる可能性があるためではないかなどと考察されている。(しかしこの報告もトキソプラズマ感染歴や感染からの期間が評価されたわけではないため、この考察が正しいかどうかはわからない)

    ・今回、システマティックレビューとメタ解析を行い、健常者のトキソプラズマ血清反応陽性と認知機能低下との関連性を検討した

    対象と方法

    ・健常者で血清抗トキソプラズマ抗体を測定され、認知機能が評価されている観察研究(横断的および縦断的)

    ・認知機能テストについては、処理速度、ワーキングメモリ、短期言語記憶、実効機能などに大別され、これら4つの領域でメタ解析が可能であった

    結果

    ・13 studies(n=13289)がメタ解析の対象となった(うち3006名、22.6%が抗トキソプラズマ抗体陽性)

    ・処理速度(Trail Making Test A、Serial Reaction Time Test、go/no-go reaction time testのいずれかで評価)については9 studiesで評価。全体の効果量は0.12で有意差あり。Heterogeneietyの指標であるI^2は13%と低かった

    ・ワーキングメモリ(Wechsler Adult Intelligence Scale、Wechsler Intelligence Scale for Children digit span test measuringworking memoryなどで評価)については6 studiesが評価。SMD=0.16で有意差あり。Heterogeneiety I^2=0% 異質性なし

    ・短期言語記憶(Auditory Verbal Learning Test、California Verbal Learning Test、Verbal Learning and Memory Test measuring short-term verbal memoryなどで評価)は5 studiesで評価。SMD 0.18と有意差あり。Heterogeneiety I^2=22%でmoderate

    ・実効機能(Trail Making Test B、verbal fluency test、clock drawing testなどで評価)については8 studiesが評価
    SMD 0.15で有意差あり Heterogeneiety I^2=63%で有意。ただし質の低いstudyを除外したsensitivity analysisでもSMD=0.15で有意差あり

    結論

    ・トキソプラズマ感染は評価した全ての認知領域において、小さいながらも有意な認知機能の悪化をもたらす可能性があるとの結果になった

    ・しかし、これらの関連性は主に横断研究(13 studies中9 studiesが横断研究で残りはコホート研究)から得られたものであるため、認知機能低下がトキソプラズマ感染と因果関係があるかどうかは明確ではない。逆因果関係(認知機能低下や精神医学的問題をより多く抱えている人は、より高い確率で感染する)や、トキソプラズマ感染と認知機能低下や精神医学的問題の両方の可能性を高める別の要因(例えば貧困、MMP-9遺伝子多型など)を排除することはできない

    ・今後は、縦断的研究を行い、社会経済的な状況、菌株の種類、血清濃度、考えられる複合感染(サイトメガロウイルスやヘルペスウイルスなど他の感染症との重複感染が免疫応答に影響することが知られている)、感染期間など、潜在的な交絡因子を検討することが必要となる

    コメント

    ・妊娠中は垂直感染リスクがあるためネコ(特にフン)との接触や生肉や井戸水などの摂取を避ける、土壌に触れる際には手袋をするなどの感染防御策をとったほうがよさそうです。

    文献1:Bruno Martorelli Di Genova et al. PLoS Biol. 2019 Aug 20;17(8):e3000364. doi: 10.1371/journal.pbio.3000364. eCollection 2019 Aug.
    文献2:Lies de Haan et al. JAMA Psychiatry. 2021 Jul 14;e211590. doi: 10.1001/jamapsychiatry.2021.1590.
    文献3:Yolken R et al. PLoS Negl Trop Dis. 2017;11:e0006040.

  • ストレスチェックについて 2021年07月14日

    ・労働安全衛生法により従業員50人以上の事業所では義務化され、50人未満では努力義務とされるストレスチェック制度ですが、これはメンタルヘルス不全の一次予防のために使用することを意図して行われるものです。このことは厚労省も明記しています。

    ・とかく希望者による高ストレス者の面談が注目されがちなストレスチェック制度ですが、これは本来意図された使い方ではありません。高ストレス者については全体の10%が該当するように事前の大規模なテストで閾値が設定されており、職場全体に占める高ストレス者の割合のこの数値からどの程度乖離しているかも職場環境の1つの指標にはなりうるかと思われます。

    ・高ストレス者の面談といえば二次予防のように思われますが、ストレスチェック制度は二次予防目的ではないことに注意が必要で、むしろこれまでのエビデンスからは二次予防として使用してはならないと考えた方がよさそうです。

    ・一次予防として使用するとはどういう意味かというと、きちんと集団解析を行い、事業場の環境改善を行い、メンタルヘルス不全の発生しにくい職場づくりのために役立てなければ意味がないということです。

    ・もし集団解析を職場の環境改善に役立てていない事業所があれば、単にストレスチェックのための労力とお金を捨てているだけだと思われます。

    ・なぜこのようなことが言えるのかについて、これまでのエビデンスをみてみます。

    ・まずはうつのスクリーニングをして、その結果をプライマリケア医に伝えることが何らかの有益なアウトカムをもたらすのかどうか、メタ解析の結果(CMAJ 2008;178(8):997-1003)をみてみます。

    ・この結果には5つのstudyが含まれていますが、たとえばかなり症例数の多いLewisらの報告(Fam Pract. 1996;13:120-6)では、ロンドンのある診療所に通院する患者の中からエントリーされた681名の患者を対象に、12項目のGeneral Health Questionnaire (GHQ:2-3週間前から現在までの健康状態で、精神的・身体的問題があるかどうかのスクリーニング)を全員に行い、患者は3つの群に無作為割付されました。

    ・第1群はかかりつけ医に何も伝えない群、第2群はGHQ-12の結果のみを伝える群、第3軍はGHQ-12に加えてさらにコンピュータを用いた自己評価式の20分間ほどのPROQSYと呼ばれる精神的健康度に関するアセスメントを受け、その解析結果もかかりつけ医に伝えられ、かかりつけ医とその結果について議論する機会を持ったものとされました。

    ・そして、6週後、3か月後、6か月後のGHQの各群の平均点が比較されました。その結果、6週後においては第3群がわずかに有意にGHQ平均点が良好であったものの、3か月後、6か月後のGHQ得点は群間有意差なしとの結果でした。プライマリケア医にスクリーニング結果を伝えようが、伝えまいが、長期的な精神的健康度に関するアウトカムはほとんどかわらなかったということになります。

    ・類似したアウトカムを評価した介入試験は2008年時点で5つあり、そのメタ解析結果が下図です(引用元:Simon Gilbody DPhil et al. CMAJ 2008;178(8):997-1003)。

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    ・残念ながら、精神的健康度に関するスクリーニングを行い(いくつかのstudyはうつ病に特化したスクリーニングを使用)、その結果をかかりつけ医に伝えようが、伝えまいが、3か月以上の長期的な精神的な健康度に関するアウトカムはかわらなさそう、ということがいえます。この状況はストレスチェックにおける面談にも似ていて、1度だけの面談で終わる場合、その結果について医師や健康管理スタッフと議論する機会があろうがなかろうが、長期的な精神的健康度についてのアウトカムはかわらない可能性があると言えます。ですので、厚労省は、ストレスチェックについては集団解析をして、環境改善をして一次予防に活用しなさいと言っているわけです。

    ・では、どうすれば、スクリーニングが意味を持つのか?それは、スクリーニングとケアを組み合わせた介入を行うことのようです。ケアも行うので、予後が良くなって当然のようにも思えますが、時間と労力はかなりのものになります。

    ・例えば文献1は、閾値下のうつ症状を有する患者を対象に、協同的ケア(collaborative care)と通常ケア(プライマリケア)を比較した介入試験になります。

    閾値下うつ症状を有する高齢者のうつ症状に対する協同的ケアと通常ケアの比較

    背景


    ・閾値下のうつ状態については、薬物療法は第1選択ではない。また認知行動療法や対人関係療法、行動活性化療法などの専門療法はより重篤なうつ状態に適応となることが多い

    ・協同的ケア(collaborative care)は、訓練をうけたケアマネージャーらにより提供されるものである。イギリスにおいて、協同的ケアが閾値下のうつ状態に有用かどうかを介入試験により検証した

    対象

    ・65歳以上のプライマリケア患者で、「過去1ヶ月間に気分の落ち込み、憂うつな気分、絶望感のいずれかで悩んでいますか」もしくは「過去1ヶ月間に興味の減退や喜びの感情の喪失により悩んでいますか」の質問のいずれかでyesであるもの

    ・さらに、訓練を受けた研究者による電話インタビューでDSM-IVの閾値下うつ病に該当するもの

    ・認知機能低下やアルコール依存などは除外

    方法

    ・無作為割付single blind試験

    ・参加者は協同的ケア群(N=344)ないし通常のプライマリケア群(N=361)に割付

    ・協同的ケアは、メンタルヘルス専門看護師もしくは心理士資格を有するケアマネージャーにより提供。提供期間は8週間で、この間電話によるサポート、症状のモニタリング、行動活性化(うつ症状により失われた社会的活動や報酬探求的活動の活性化)のための構造化プログラムの提供などを行い、必要に応じてケアマネージャーは精神科医などによる助言を得た。

    ・主要評価項目は4か月時点でのPHQ-9得点(うつ症状尺度)

    結果

    ・4か月時点でのPHQ-9得点は、協同的ケア群平均5.36点、通常ケア群 6.67点で有意差あり。

    ・4ヶ月時点でうつ病と診断されたものは、協同的ケア群 17.2%、通常ケア群 23.5%で有意差なし。12ヶ月時点でうつ病と診断されたものは、包括的ケア群 15.7%、通常ケア群 27.8%で有意差あり

    ・うつ症状尺度(PHQ-9)、不安症状尺度(GAD-7)については、4ヶ月時点、12ヶ月時点いずれも有意差あり

    結論

    ・スクリーニング後の協同的ケアは閾値下うつの予後を改善する可能性がある

    コメント

    ・ストレスチェック制度は義務化された事業場ではそれなりにコストや労力がかかっているものと思われます。単なるスクリーニングとして使用するのではなく、集団解析を行い、問題点を抽出し、職場環境改善を行って(たとえば、具体的な環境改善の方法としてはhttps://kokoro.mhlw.go.jp/manual/を参照)有効活用したいものです。

    文献1:Gilbody S et al. JAMA. 2017 Feb 21;317(7):728-737.

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