院長ブログ

  • COVID-19医療従事者のメンタルヘルスへの影響(予備的な結果)

    アブストラクトだけみて、重要な論文だと思い、以下の前文を書いてから翻訳してみましたが、論文の問題点が一部みつかって、尻すぼみになってしまいました。しかしながら重要なメッセージは含まれていますので、予備的な結果として残しておきます。


    中国湖北省でCOVID-19診療に従事した医療関係者のメンタルヘルスに関する論文が4月29日にAmerican Journal of Psychiatry誌のLetter to the Editorにacceptされ公表されました。

    COVID-19パンデミックが医療従事者のメンタルヘルスにどのような影響を与えたのか、メンタルヘルスが病的といえる水準にどの程度の割合の医療従事者が至ったのかがわかります。


    この報告をみてわかることは、COVID-19診療に従事するだけでも、これほどの精神的影響がありうることであるのに、さらにそのうえ、一部報道でみられたようなCOVID-19医療従事者へ差別的態度が向けられるということは、第一線で診療に従事し、心身ともに疲弊する医療従事者をさらに精神的に追い込む行為であり、社会的に許されることではないということです。

    以下その概略となります

     

    調査対象となったのは、COVID-19疑い症例ないし確定症例を収容する感染症指定病院に勤務する医療従事者で、オンラインで調査が行われました。

    湖北省の感染症指定病院に勤務する2316名の看護師、医師が調査に応じました。

    このうち直接COVID-19患者の治療やケアを担当する最前線の医療従事者は885名、その他の医療従事者は1431名でした。

    調査が行われたのは2020年1月29日から2月11日(中国では1月29日時点で1日当たりの国内感染者数は1000名を超え、ロックダウンは1月23日から開始されていました)

     

    主要評価項目は、9-item Patient Health Questionnaire[PHQ-9]が6点以上で有意なうつ症状有り、7-item Generalized Anxiety Disorder(GAD-7)で6点以上を有意な不安症状有り、7-item Insomnia Severity Index[ISI]で9点以上を有意な不眠症状有り、22-item Impact of Event Scale-Revised[IES-R]で10点以上を有意なストレス症状有りとされました。


    (コメント:感度、特異度の観点から、PHQ-9は10点以上、GAD-7は10点以上、ISIは10点以上を臨床的に有意とする場合が多いので、PHQ-9とGAD-7については拾い上げすぎている感があります。実際にネットで閲覧可能なPHQ-9などをみていただけるとわかりますが。この論文のカットオフ値を適応した場合、必ずしも臨床的に病的なレベルとはいえそうにないことがすぐにわかると思います。なぜこのカットオフ値を用いたのか不明ですし、論文中に異なるカットオフ値を適応した場合の割合なども記載されていればよかったのですが、残念ながらそのようなデータもなく、この報告の数値だけが独り歩きしないことを願います)

     

    この論文のカットオフ値を用いた場合、うつ症状を有した割合は全体の46.9%、不安症状は全体の41.1%、不眠は全体の32%、ストレスは全体の69.1%との結果になりました。

    最前線の医療従事者はこれらの数値よりも有意に高かった(具体的な数値の記載はありませんでした)とのことです。

     

    一方で、医療従事者の中で専門的なサポートが得られたのは19.2%のみでした。

    心理的なサポートを受けることができた医療従事者は、有意に不安、うつ、不眠、ストレスがカットオフ値を超える割合が少なかったということです。


    さらに。41.5%の回答者が心理専門職によるサポートや支援を求めており、64.9%の回答者がメンタルヘルスサービスの利用について興味を示したとのことです。(コメント:このデータは重要な結果と思われます。実際に日本の医療現場でも同じようなことが言えるのではないでしょうか)

     

    論文の最後では2003年のSARSアウトブレイクの際の出来事にも触れてあり、アウトブレイク後1年以上を経過してもなお、心理的苦痛を訴えた医療従事者が存在していたことが報告されており、長期的視野に立った心理的サポートの重要性が説かれています。

     

    以上となりますが、ごく短期間で出版された報告なため、データが少ないこと(回答者の年齢や性別、有効回答率などの基礎的なデータもない)と、なぜかカットオフ値が標準的ではないことが悔やまれます。

    今後日本でも同様の調査、報告が行われ、実際の現場での介入がなされることが期待されます(大学などから遠隔システムでの協力要請があれば、協力したいと思います)

     

    引用文献
    Lin K, Yang BX, Luo D, et al: The Mental Health Effects of COVID-19 on Health Care Providers in China
    Am J Psychiatry | Letter to the Editor
    Accepted 29 April 2020. DOI: 10.1176/appi.ajp.2020.20040374

  • 再始動

    印象的な出来事があったので、書き留めておこうと思います。


    ALS界隈では有名なNeuralstem社というベンチャー企業がありました。

    2015年当時、ALS当事者の間ではNeuralstem社か、Brainstorm社か、というほど名の知れたベンチャー企業でした。

     

    これらの2つのベンチャー企業はALSに対する再生医療、幹細胞移植における先進的な取り組みで知られていました。

     

    再生医療というとなんだかぼんやりしたイメージですが、wikipediaによると「人体の組織が欠損した場合に体が持っている自己修復力を上手く引き出して、その機能を回復させる医学分野」だそうです。

    ALSでは幹細胞移植がこれにあたります。

     

    いちはやくALSに対する実用的な幹細胞移植の臨床試験を開始したのがNeuralstem社とBrainstorm社でした。

     

    ひとえに幹細胞移植といっても、様々なタイプがあります。

     

    臨床試験で報告されているもので一番多いのは中胚葉組織由来の幹細胞です。

    中胚葉由来の組織としては、血液、脂肪組織などがあり、骨髄より採取された間葉系幹細胞や脂肪組織由来の間葉系幹細胞などがALSに対する臨床試験に用いられています。

    この中胚葉由来の間葉系幹細胞というのが曲者で、てっきり中胚葉由来なので、外胚葉系の神経細胞やグリア(グリア系細胞の中で唯一ミクログリアのみが中胚葉由来ですが)細胞には分化できないだろう。と思っていたら、なんとそんなことはない、というのが現在の見解のようです。

    島根大学脳神経内科の長井教授が報告1)されたように、神経栄養因子を分泌するようにもできるし、なんと神経系細胞にも分化できるようです2)

    実際に移植した生体内で目標とする細胞に分化してくれるかどうかはまた別の問題ですが、驚きの多能性を有しているということのようです。

    このような中胚葉由来の間葉系幹細胞を用いることの大きなメリットは自家移植が可能なことです。

    自身の組織から幹細胞を採取し、それを治療的に用いることができ、同種移植のように免疫抑制剤は必要ではありません。

    Brainstorm社のNurOwn細胞はこの方法を用いており、患者自身の骨髄より採取した幹細胞をマル秘の特許技術により神経栄養因子を分泌するように分化誘導し移植する方法になります。

    一方で、外胚葉由来の幹細胞を移植する方法もあります。

    自身の神経組織から神経幹細胞を採取することは実用的ではありませんので、胎児由来の神経幹細胞を使用する方法がしばしば用いられています(倫理的問題はより大きなものとなりますが)。

    また同種移植になるため移植後に免疫抑制剤の投与を必要とします。

    Neuralstem社のNSI-566がこれにあたります。NSI-566についてはその安全性もやや気になるところです。

    胎児由来神経幹細胞移植は腫瘍化するリスクも報告されています3)

    移植の際の投与経路も様々です。静注、くも膜下腔内投与、脊髄内投与などがあります。


    このうち静注については注意が必要です。

    2019年には脊髄損傷に対して自家骨髄幹細胞移植(静注)である、間葉系幹細胞のステミラック注が条件付承認されましたが、これについては批判的な意見もあり、Nature誌でも痛烈に批判されましたし4)、島根大学の松崎教授が解説5)されたように、動物実験では静注された間葉系幹細胞は、新鮮なものはまだよくても、培養を行ったものは、大半が肺の毛細血管にひっかかり、遊走能を失い、ターゲットとする組織には到達しなかったという問題点もあります。

    現在ALSに対しては、Mayoクリニックが自家脂肪組織由来間葉系幹細胞移植の臨床試験を行っていますが、これはきちんと投与経路がくも膜下腔内投与となっています。

    くも膜下腔内投与は、カテーテルをくも膜下腔に挿入し(ここがやや侵襲的ではありますが)、直接くも膜下腔内に幹細胞を移植する方法になります。

    現在第3相試験まで進んでいるBrainstorm社のNurOwn細胞はこの投与経路となります。

    一方で脊髄内投与は最も侵襲性の高い治療手技となります。

    患者は手術室で椎弓切除術を受け、脊髄を目視下とし、脊髄実質に直接幹細胞を注入する方法になります。この方法をとるのがNeuralstem社のNSI-566となります。

    Brainstorm社もNeuralstem社も、2010年頃からALSに対する幹細胞移植の第1相試験を開始しています。


    Brainstorm社はイスラエル Hadassah Medical Organizationにて2010年1月から第1相試験を開始(NCT01051882)し、Neuralstem社は2011年5月からEmory大学にて第1相試験(NCT01348451)を開始しました。

     

    第1相試験での安全性確認後、Brainstorm社は2013年12月に第2相試験を開始しました(NCT02017912)。

    この第2相試験の結果が論文としてpublishされたのは、去年12月であり、ごく最近のことです6)

    結果の概要ですが、この第2相試験では、48名のALS患者がエントリーし、36名がNurOwn細胞を投与(くも膜下腔内および筋肉内に単回投与)され、12名がプラセボを投与されました。


    患者は投与前3ヶ月間および投与後6ヶ月間症状経過観察されました。

    主要評価項目であるALSFRS-Rの変化率は治療前後でNurOwn投与群とプラセボ群とで有意差を認めませんでした。

    しかしながらALSFRS-Rの変化量が少なくとも1.5点以上改善した群を反応群と定義すると、治療4週後の反応率はNurOwn投与群では47%でプラセボ群では9%であり有意差を認めました。

    また治療前のALSFRS-Rの変化量が2点/月以上の急速進行群においては、4週後のNurOwn投与群の反応率は80%に対してプラセボでは0%、12週後の反応率はNurOwn群では53%、プラセボ群では0%といずれも有意差を認めました。

    治療後の時間経過と共に反応率が低下していることについて、追加投与の必要性を示唆するものかもしれないと考察されています。

    また髄液中MCP-1(monocyte chemoattractant protein-1)濃度(免疫細胞浸潤と神経炎症の指標)については、NurOwn投与後に有意な減少がみられました。

    プラセボ群では投与前後での有意差はありませんでした。このことはMCP-1がALSのバイオマーカーとなりうる可能性を示唆するものと考察されました。

    この結果を受けて、FDAはNurOwn細胞の第3相試験の実施を承認しました。

    このように、主要評価項目において有意な結果が得られず、副次的な評価項目のみで有意差が得られても第3相試験が実施されることはしばしばみられることです(そして残念ながら多くが第3相試験でnegativeとなる)。

    現在、NurOwn細胞については、200名のALS患者を対象とした第3相試験が実施中(NCT03280056)であり、2020年中に結果が判明するものと期待されています。

    もし有効性が確認されれば大きなニュースになることと思われます。

    Brainstorm社のNurOwn細胞については、第1相試験の開始から足掛け10年かかっていますが、比較的順調に進捗している印象があります。

    一方で、Neuralstem社のNSI-566はどうでしょうか。

    第1相試験で安全性が確認されたのち、第2相試験の実施まではスムーズでした。

    2012年12月に第2相試験(NCT01730716)が開始されています。

    結果が査読付き論文にpublishされたのは2016年でしたので、NurOwnよりも早く公表されたことになります7)

    この第2相試験は、オープン試験であり、15名のALS患者が対象となりました。

    結果の概略ですが、発症2年以内の患者がエントリーされ、頸髄のC3からC5の間の領域に両側性のNSI-566細胞の単回移植を受けました。また最後の3名では腰髄領域にも移植を受けました。

    主要評価項目は忍容可能な最大用量を調べること(安全性の評価)でした。

    移植後9ヶ月間の経過観察期間において、最も高頻度に報告された副作用は、手術に伴う一過性の疼痛と、併用された免疫抑制剤(同種移植のため、免疫抑制剤が必要)に起因したものでした。

    2名では重大な合併症を併発しました。1名では脊髄腫脹がみられ、疼痛と部分的な麻痺が生じました。

    またもう1名では脊髄損傷に起因した疼痛が出現しました。

    副次的評価項目である、病態進行の程度については、過去の臨床試験のプラセボ群の臨床経過(historical placebo)と比較して、有意な進行遅延は認めませんでした。しかし、被検者が少ないため、有効性に関する結論を出すのは困難とのことでした。


    2016年にこの報告が出てから、Neuralstem社の動向がぱったりと途絶えてしまいました。

    一時はもう開発を諦めてしまったのかと思っていました。

    第3相試験の実施には数十から数百億円程度かかると言われており、ベンチャー企業にとっては大変な負担となります。

    うまく立ち回ると途中で巨大な製薬会社に買収されたり、提携するなどして資金面での問題があまりなくなる場合もあるのですが、Neuralstem社については、そのようなニュースもなく、数年間新たな動きもないため、最近では忘れかけられていました。


    しかし、2019年11月、復活ののろしがあがります。なんと2019年11月にNeuralstem社はSeneca biopharma社と社名を変更し、2020年3月にはNSI-566の第3相試験の実施に向けて、FDAと協議したとのpress releaseが出されました。

    名前がかわった理由はよくわかりません。新たな資本が注入されたとかのニュースも見当たりません。


    第3相試験の実施にあたっては、まず製薬会社はIND(Investigational New Drug Exemption:新薬臨床試験開始届)をFDAに提出し、審査に合格する必要があります。そのINDを提出するための準備としての協議をFDAと行ったそうです。


    名前が変わった理由ですが、Seneca社のpress releaseによれば、「今回の社名変更は、これまでの神経疾患関連の研究に重点を置いていた組織から、有望な新科学を発見し、バイオ医薬品のパイプラインを開発し、それらの製品を商業化することに焦点を当て、同時に株主の皆様に価値を提供することを目的とした新たな哲学を表しています」とCEOが語っています。なんだかよくわからないコメントですが、ベンチャー企業にとっては株主の存在は重要です。社名変更は会社哲学の変更ということでしょうか。


    第3相臨床試験の実施はまだまだこれから、というところですが、ALSに対する神経幹細胞移植の臨床試験が再開の動きをみせたことは歓迎すべきことと思います。

     

    1)Nagai A. et al. PLoS One. 2007 Dec 5;2(12):e1272.
    2)Rosa Hernández et al. Biomol Ther 28(1), 34-44 (2020)
    3)PLoS Med. 2009 Feb 17;6(2):e1000029. 
    4)Nature. 2019 Jan;565(7741):535-536.
    5)松崎有未 島根医学 vol.39.2 2019.8 1-6
    6)Neurology. 2019 Dec 10;93(24):e2294-e2305
    7)Neurology. 2016 Jul 26;87(4):392-400.

     

     

     

     

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